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ドはドーピングのド

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自転車はそれぞれの瞬間瞬間では作戦があり奥が深いスポーツですが、大きく見れば、一番早い奴が一番偉いという単純なスポーツでもあります。ツール・ド・フランスの優勝者は英雄なわけです。そのため黄色ジャージを着るためにあらゆる手段を使って勝ちたいと思うのも当然です。その動機は金銭的というよりも、名誉のためであり、ドーピングも単純に責められるものではありません。

私がこれまでツールを観戦してきた中で、非常に印象に残っている3人がいます。

リカルド・リッコ
パンターニの再来と呼ばれ、山が非常に強かった。
2008年のピレネー越え初ステージにあたる第9ステージでは、残り約33km地点から猛アタックをかけ、有力選手をぶっちぎって優勝。第12ステージ直前にドが発覚で追放。そんなところまでパンターニを見習っちゃう怖い顔のリッコ。その後も冷蔵庫に保存し古くなった自分の血を自分で輸血して緊急入院しちゃうお茶目さんでしたが引退。

シュテファン・シューマッハー
医者である母親の支援を受け、ドを実行。2008年のツール・ド・フランス第4ステージと第20ステージの個人タイムトライアルで勝利。なお第4ステージの終了時点では総合1位となりマイヨ・ジョーヌ。もうドのオーラが出まくり。インタービュー時の顔なんか神々しくて笑っちゃうくらい薬キマってました。

アレクサンドル・ヴィノクロフ
2007年が総合優勝の本命と言われ、自分でも最後のチャンスと思い血液ドに手を染める。序盤調子悪く、もう総合は無理だと思われていた第13ステージの個人タイムトライアルでは2位に1分以上の差をつけて勝利。一気に総合9位まで浮上し復活を思わせたが案の定ドが発覚し追放される。(この日の2ch実況では、ドやっちまったなという書き込みが溢れていた。)