Leonell C. Strong

 Yale大学のLeonell C. Strong教授はガンの研究で尊敬される医学者であり、彼はO'Neillがマニュスクリプトの年代を1493年以後とした論文(1944)を読んでから、ヴォイニッチ手稿に興味を持った。彼は、長きに渡るルネサンス作品への興味に関連して、この謎の書物の謎に取り組んだ。5年間以上、彼は研究のための本文のコピーを手に入れることができなかった。最終的に彼は、Feelyと同様、出版されたマニュスクリプトからの個々の絵に基づいて、研究を押し進めた。十分考えた上で、彼はこのミステリーの解読を短い論文の中で述べた。(1945) 彼の解読は「多数アルファベットの等差数列による特別の2重システム」と呼ばれるものに基づいており、これはヴォイニッチ手稿がTrithemiusやPortaやSeleniによる暗号に通じていた人物が書いたことを示している。(Mckaig nd, p. 49)
 Strongの解読はそれが中世英語で書かれているという結論であった。彼はマニュスクリプトの著者を、16世紀チューダー王家の子供たちの家庭教師であった有名なRoger Ascham (or Askham)の兄弟である、Anthony Aschamなる人物であると主張した。Anthonyは医師であり、占星家であった。彼は暦や、天体、植物に関する論文を出版している。(Askham 1548a. 1548b. 1550. 1552. 1553) Mckaig(n.d., p. 49)の記述によると、Strongが作りだした文章には「まったく正しい女性の病気や夫婦のベットの中での実践について議論したものであり、これを16世紀のキンゼー報告(注:男と女の性行動に関する研究報告)と呼んでも良いだろう。」が書かれていた。彼はその処方の中に、植物避妊薬を見つけ、その効果を実験室でテストしてみた。その構成成分は、松の樹皮から取ったヤニ、蜂蜜、ニシキギの油であり、Strongの主張では、ニシキギの油には、彼の実験により精子の運動性を低下させる働きが見つかった。したがって避妊薬としての成分の有効性が証明された。(Strong and McCauley 1947, p. 900) しかし彼の暗号解読の仕事や、解読の方法の詳細は説明されないまま、疑わしさが残った。
 Strongの解読文は、いくつかの例が論文に載った(Strong 1945, Strong and McCauley 1947)ものもあるが、他の学者たちはそれが中世英語とは認められないと、受け入れなかった。彼独自の結論を次のサンプルから到達したのかもしれない。「When skuge of tun'e-bag rip, seo uogon kum sli of se mosure-issue ped-stans skubent, stokked kimbo-elbow crawknot.」この驚くべき文字の羅列を、Strongはこのように訳した。「血管の中身が破れたとき(もしくは膜が破れたとき)、脚は曲げられ、同じく腕と肘は曲げられ頭の上で縛られ、エビのような状態で、子供は母から産まれる。」(Strong 1945, p. 608) 私には、少なくとも、どんな人間がどの時代に書いたにせよ、または暗号かそうでないにせよ、そんなことはあり得ないと思う。そしてまた多くの研究者たちが、書かれた内容が婦人科的なもの、性的な説明であると強迫観念的に取り憑かれていることも、私にとっては不思議である。ページの一部分に、小さく、全く冷静な婦人があちらこちらに描かれているだけでは、この強迫を正当化するに十分ではない。
 私の知る限り、彼の理論を支持するものは、これ以上Strong博士からは聞けない。しかしVoynich ManuscriptはStrongの母校Yale大学で研究者はアクセスすることができる。Elizebeth Friedmanはこう語っている。「専門家は、彼が作り出したものは中世英語ではない。彼の暗号の「方法」について、彼はあまり口を開かないが、彼の言ったことは、暗号の専門家にとってはナンセンスなことである。」(1962)
  -M. E. D'Imperio, The Voynich Manuscript: An Elegant Enigma