Voynich Manuscript の歴史(その1)


いわゆる一番正式に信じられている歴史。ただしこれも信憑性は低い。

20世紀のヴォイニッチ手稿の存在と所有者については数多くの証拠があるが、1912年以前のことは推測でしかない。何人かの著者は今世紀初めに W. M. Voynich がこの写本をでっち上げたと主張した。他の著者達はこれを13世紀〜16世紀のものとしている。

1582年−1586年

John Dee はプラハに滞在。

1608年

John Dee 死去。

Jacobus de Tepencez が称号 de Tepencez を得る。

1610年

ヴォイニッチ手稿はおそらく Rudolph U of Bohemia に買われた。

1612年

Rudolph U of Bohemia 死去。

1610年−1622年

ヴォイニッチ手稿はおそらく Jacobus de Tepences のもとにあった。

1622年

Jacobus de Tepencez 死去。

1644年以前のいつか

Joannus Marcus Marci が写本について(おそらくヴォイニッチ手稿のこと) Dr. Raphael Missowsky に相談している。

1644年

Dr. Raphael Missowsky 死去。

1665年

Joannus Marcus Marci が Atthanasius Kircher に手紙とともに暗号写本(Voynich Manuscript)を送る。この手紙は1912年に W. M. Voynich がヴォイニッチ手稿とともに見つけた

1667年

Joannus Marcus Marci 死去。

Recent History of the Manuscript

1912年

W. M. Voynich によってイタリアの Frascati のモンドラゴーネ修道院でヴォイニッチ手稿が発見される。

1930年

W. M. Voynich 死去。ヴォイニッチ手稿は彼の未亡人 Mrs. E. Voynich の手に渡る。

1960年

Mrs. E. Voynich 死去。

1961年

ニューヨークの古美術商 Hans P. Kraus が1961年7月12日、$24,500で購入。

1969年

Hans P. Kraus はエール大学(Yale University)のBeinecke Rare Book Library に寄贈した。manuscript 408 とカタログに載っている。$125,000 から $500,000 と評価されている。


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